2015年2・3月号


茅葺職人
本間弘さん




伝統文化を守り、作る。
その逞しい人生。


雨漏りを直したい

戦後ぐらいまで、沢根の田中辺りは
もう全部クズヤ(茅葺屋根の家)
だったんだ。
風が吹くと屋根が取られてしまう。
この集落に屋根葺きおらんかった
から、直すには職人がいる隣の
集落までお願いに行かんなん。
家の親父は高えとこが苦手でね。
はしけえ(素早い)もんは夜が明ける
とお願いに行くけど、家の親父は
そろそろと行くんだね。
職人はまず自分達の集落の屋根を
葺いてからここへ来て、今度はこの
集落の早え行ったもんから葺くんで
すよ。そうすると俺んとこはどうしても
遅く来る。
屋根を取られとる間に雨降るとね、
ぽつんぽつんと天張りへ雨水が
落ちる。その音が嫌で嫌で。
子供の頃ですよ。家が潰れるような
気ぃしてさ。せめて職人が来るまでに
雨漏らんように修理ぐれぇ習おうかと
思ったのがこの道に入ったきっかけ。


競争心で腕を上げる

弟子として入ったのは昭和23年ぐらい
だな。
入った時分はこの集落から3集落ぐらい
まで全部茅葺で、そこだけで1年ずっと
仕事をやれるぐれえ忙しかった。
修理を覚えたら辞めるつもりではいっ
とったけど、入って分かったのは修理が
一番難しいの。
屋根の何もかも分かって一丁前になら
にゃ修理の現場には出さんのよ。
若えから力あるでしょ。自分で茅担いで
きてどんどん葺けるから、年寄より仕事
が早えんだ。集落もんもそれを見とる
から、あんちゃん明日俺んとこ来てな、
となる。今度は師匠が、おいおめえ俺
の横来いちゅうふうになったのんさ。
後から入ったもんが師匠の横に行くと、
前から入っとるもんは面白うねえ。
そうするといじめにかかる。
こっちは競争心だ。
この野郎いじめたなと思うと、やって
やろうかってなるわけだ。
競争心でやっとる内にいつの間にか
腕上げて、段々出来てくると面白うなる。
仕事が出来るようになると、次々仕事を
くれるから、辞めさせてくれんの。


三つの仕事

屋ね葺きだけじゃのううて何でもやった。
テレビ出た時分にテレビ売った。
大々的に宣伝してさ。
でも、売れるのは売れても山が邪魔して
映らんかった。
それでとうとう赤字で辞めた。
その後はメリヤス。全自動の機械を2台
だか3台買うてさ。
それも失敗したの。船が止まると納期が
遅れるでしょ。その時は屋根葺きはやっ
てなかった。屋根葺きと一緒にやったの
は大謀(網漁)。沢根にあったんですよ。
朝4時頃出て行って6時頃あがるんで、
そっから屋根葺きに行ける。
そうやって二股かけて、前失敗した借金
払わんなん。それと農業と三つね。
大謀は結構長くやったんですよ。
でもその時分、出稼ぎに行ったもんは景
気良かったんだけど仕事のうなってきた
んだよ。その段階で、あれたちが今すぐ
帰ってきてやれん仕事を考えた。
それは何だかと言うと電気仕事だった。
これならどんな腕の良いもんが帰ってき
ても取られんと思って、配電の仕事を
やっんだ。屋根葺きの仕事があるとそれ
を休まんなん。そうなると、誰かに死んで
もらわんなん(笑)。
前々もって分かる結婚式は駄目なんだよ。
葬式が一番良いんだ。
長う休まんなん時は遠くで死んだと言うて
休んで屋根葺きと両立。
そうやって農業と三つの仕事をした。
一つが景気悪くなってもまずまずやれ
ると。今は農業と屋根をやっとる。




佐渡の若者に期待

佐渡の茅葺は大概おらっちがやっとる
よ。佐渡は茅葺の家というのは割り方な
いんですよ。
今やっとるのはほとんど文化財。
能舞台とかちょっとしたもんはみんな
佐渡の指定文化財になってる。
ところが、文化財は茅葺屋根で指定され
てるから、職人がおらんようになったって、
茅葺以外に屋根変えることができん。

市ではね跡目を作ってくれって言う。
弟子になろうと言うもんはおるんだよ。
弟子になって腕が一丁前になっても、土
地がなければ一人前になれん。
茅屋や足場入れる場所もあって初めて
できる。
今年から、専門学校も春休みと夏休み
の間に、建築を勉強している学生で帰省
しないのが九人習いに来たんだ。
やっぱり若えもんはねぇ、頭良いわ。
物凄い気ぃが付くし真面目で、教えた通
りにやるとやっぱり上手い。一遍やると
何が要るちゅうことを把握してさ。
こんなのが欲しいなぁと思うけも、学校
が終わりゃ佐渡におりゃあせん。
佐渡の場合はさ、建築に伴うて確実に
クズヤの仕事はあるんだ。
早いこと言や、大工とかから仕事が回
ってくるんだ。
やっぱり建築の仕事を覚えとりゃ便利
良いんだよ。それを回していこうつうの
が佐渡の人間ならええけもよのう。



  

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