2016年10・11月号




































げんまる つれづれ 綴り





黄金色の稲穂がまぶしい季節になった。
にわか農家の我が家の田んぼも、
金ピカの絨毯になっている。
今夏、酷暑の中せっせと草取りに励んだ
相棒は収穫の時を無事迎えることができそう
でホッとしている。フンばったモンなぁ〜…
朱鷺舞う里山に引っ越してはや一年。
やることはドーンと山のように増えた。
休日は休日ではなくなり休む暇はなくなった。
ただひたすら外仕事の連続である。
慣れない農作業、当然のことながら
身体は悲鳴をあげた。感じたことのない
疲労感に襲われ、心が折れそうになった。
だが、それでも足が自然と田畑に向かう。
花や木、草、土と触れ合うことで、これまで
の生活では感じられなかった清々しい気持ち
になれることを、だいぶ大人になった今に
なってようやく知ったからだ。自然の中に
身をおくと、そこは学び溢れる場所だった。
五感が研ぎ澄まされるのだろう、沢山の物事
に気づく。そして、なによりも今の世の中に
欠如している謙虚な気持ちになれる。
たとえ、一時の時間でも大事な時間だ。
目指していた大地に足をつけた暮らし、
人間らしい心豊かな島での生活。
今以上に豊かな生活は多分どこにもない。
感謝感謝の毎日、有り難いことである。
ふと、秋風に揺れる稲穂にこの句が浮かんだ。

…実るほど頭を垂れる稲穂かな…

稲穂は実れば実るほど穂先を垂れ、頭を
下げることから、君子は学識や徳行が深まる
ほど謙虚になるものだということを表した句
である。地位が上がっても、謙虚に生きよと
いう戒めとして使われている。地位が上がると
エゴが出てきて頭を垂れるどころか、ふんぞり
返る人のなんと多いこと!そして人は、知識を
つければそれをひけらかしたいと思うように
なるのが残念ながら世の常のよう。
かのギリシャの哲学者ソクラテスも言った。
謙虚な人とは自分は何も知らないということ
を知っている人と。
稲穂のように、実(=知識)をつければ
つけるほど謙虚になることができるのなら、
争いごとも少なくなるのかもしれんナ。
いくつになっても学びは続く、一生勉強。
そんなことを考える実りの秋である。





  

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