2020年2・3号




















































追憶のぼたもち




彼岸の頃になると
店先に先祖供養のぼたもちが並ぶ。
眺めてはみるが買いはしない。

理由はふたつある。

ひとつは甘いものがあまり得意では
ないから。特にアンコが苦手、である。
というか、苦手になってしまった、
というのが正解だろう。
幼少期、昔ながらの郷土料理や伝統食を
嫌というほどみてきたし、食べてきた。
なかでもアンコは季節の折々に登場した。
一度アンコを練るとなれば何故そんなに
作る?という量であり、また昔は貴重だった
という砂糖をたっぷり使った甘ーい甘ーい
アンコだった。食べ過ぎた、ということは
厄介である。もう甘いものは懲り懲りに
なったのだろう。
いまでは本当に食べたいと思うときは
よっぽど疲れているときくらいである。
自ら求めることはほとんどない。

ふたつにぼたもちは買うものではなく、
家で作るものという認識だから。
彼岸はもちろん、田植えや稲刈りの農作業の
の休息時や、祭りなどの神事、お祝い事の
席、くわえて運動会など大勢のひとが集まる
場面でぼたもちを振舞ってきたように思う。
その折々ごとにアンコを大鍋で煮炊きし、
もち米とうるち米を蒸して、蒸気でむんむん
していた、かつての台所の風景を思い出す。

そんな記憶もあってか、
売りもののぼたもちにはなかなか手がでない。
ところが相棒が無類の甘党で
これまたアンコ好きということもあり、
たまーに某店の気に入りのぼたもちを
買うことはある。

ところで我が家のぼたもちはどんなときも
粒アンにハンゴロシのぼたもちだった。
彼岸に関していうと春でも秋でも区別は
なかった。どんなときでも同じだった。
ところが、ようやく最近になって世間では
春と秋で呼び方は勿論、アンや、米の
つぶし方にも違いがあり、更に夏と冬にも
同じ食べものなのに呼び方が違う等という
うんちくを知った。

とりあえず、よそ様のことは知らんが
我が追憶のぼたもちは特別なものではなく
先祖供養のためだけなく農事とハレの日とも
結びついた食べもののひとつにほかならない。

なんだか、あの甘ーいぼたもちがみょうに
恋しくなってきた。
記憶をたぐり寄せ作ってみようかと思う
この頃である。





  

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