2019年4・5月号





佐渡・島と人の誕生のルーツ
〜縄文遺跡を辿る〜




佐渡はいつ頃できていつからこの島に人が住み始めたのか。
先祖への思いを馳せてみる。

まずは島の誕生についてだが
佐渡を含む日本列島の西南部分は、約1億年前頃まで沿岸地方と
くっついており大陸の一部であったとする説がある。
その後、大陸の移動、火山活動を経て、いまから約2300万年前に島
の骨格が形成される。

火山活動がおさまった約1500万年前になると
佐渡と大陸の間に海が進入し、大佐渡・小佐渡は海に浮かぶ島に
なったとされる。

二つに分かれていた佐渡。
その後、国仲平野ができるのだが、国仲平野の地形が変化する時代
をそれぞれ 「古国仲湖時代」 「古国仲湖沼沢地時代」
と呼ばれている。

古国仲湖時代では、真野や河原田あたりから砂州が不安定ながら
成長し、潟が次第に縮小していいく。
完全に仕切られた状態ではないが、国仲に湖が残された状態になる。

古国仲湖沼沢地時代になると、砂州は次第に安定し、大佐渡、小佐渡
山脈から流れでる河川によって運ばれる土砂や礫により、古国仲湖の
陸地化が進む。
この時代に国仲平野の原形が形づくられる。
国仲にようやく人が住める環境が出来始めた時代である。


国仲平野が形作られた時代は、縄文時代と呼ばれ、人々は自然物を
採取して生活していた。
佐渡における縄文遺跡は全体で約810ヶ所発見されている。
最も古いのは、小木半島の岩屋洞穴遺跡と二見半島の立野遺跡。
佐渡に縄文人が住んでいたことは旧金井町堂ノ貝塚、旧畑野町三宮貝
塚、旧真野町藤塚貝塚、旧小木町長者ヶ平遺跡など、人骨が出土する
遺跡から知ることができる。
多くの縄文遺跡からは、貝塚から貝はもちろんイノシシ、ノウサギ、ニホ
ンシカの骨が発見されている。

祖先の記憶のこる島・佐渡
は知れば知るほどやっぱりディープで面白い。





























    





    








  

佐渡情報

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