2020年8・9月号




〜むじなの神さん 〜


佐渡には不思議な信仰がある。
むじなの神さん、
すなわち狸の神さんである。

「二ツ岩団三郎」といえば言わずと知れた
佐渡に伝わるむじなの親分で、神である。
現世でのご利益がたいそうあると評判で、
願をかけた人は鳥居を奉納するという。
奉納された鳥居は数え切れず延々と続く。
毎月十二日は縁日で参詣者もあり供物もある。
鳥居を通った奥には大きな岩が二つあり、
神霊である。
この現世ご利益の信仰は、過去より
山伏の力によって人々に信じられてきた。
山伏がむじなを媒介にして呪術を行った
言い伝えも残っている。
現代のように、科学の発達がないころ、
現世に一喜一憂する人々に恐れられ
敬われた山伏の側面が、むじなの信仰を
通して佐渡に根強く生き続けているのかも
しれないといわれている。

団三郎には多くの話があるが、
佐渡には団三郎の他にも
むじなの話が色々ある。
二つ岩団三郎というように名付けられて
呼ばれるむじなが、百匹もいる。
団三郎はこの百匹のむじなの親分であり、
『佐渡の貉の話』には、佐渡むじな大番附
なるものまである。
団三郎親分の下には四天王むじながおり、
それぞれにいくつかの話が残されている。
相川関の寒戸、新穂潟上の財喜坊、
赤泊徳和の禅達、真野新町のおもやの源助
などが四天王とされている。

佐渡にはむじなの神さんはいるが、
きつねの神さんである稲荷さんはいない。
確かに佐渡にはきつねはいないが、
その理由に団三郎が関わっている話がある。
昔、団三郎が諸国を旅していた時、
きつねに出会い、きつねは我々の仲間を
佐渡に住みつかせたいと団三郎に頼んだ。
承知した団三郎は、きつねに何かにうまく
化けて行かないと、ひどい目に逢うと言い、
きつねは何がよいかと尋ねると団三郎は
ちょうど自分は旅人に化けて行くから、
下駄に化けたらどうか?と言われ、下駄に
化けて団三郎の足に履かれて船に乗ったが、
沖合いに出てから、団三郎はその下駄を
脱いで、海の中へ投げ込んでしまい、
きつねは、そのまま死んでしまったという。
こうして、きつねは佐渡へ渡って来ることが
できなかったという。

ヌケメない団三郎の話はこればかりでは
ないが、なんだか佐渡んもんの気質の
「抜け目なさ」とかぶる。
むじなの神さん、と今でもなお慕われる
所以はその辺りにあるのかもしれない。









〜佐渡貉の親分
「二ツ岩団三郎」の四天王〜




相川関の寒戸

団三郎の女房ともいわれる
「寒戸」はお杉という女性に
化けて人間の男を誑かして
いたが、あるとき能登の船頭と
一夜を過ごした。。
「よそものに肌を許すな」
という貉の掟を破った為か、山崩れにより、
船もろとも生き埋めとなり死んでしまい、
霊を弔うために、祠を立てて近くに杉の木を
植えられ祀られたという。
この神社は「お杉神社」と呼ばれていたが、
境内に冷たい風を吹き出す岩穴が出来たこと
から、「寒戸神社」とも呼ばれるように
なったという。



新穂潟上・湖鏡庵の財喜坊

新穂潟上にある湖鏡庵へ向かう途中の社に
祀られている財喜坊。
寺の事は何でもこなし、田の水の番もして
いたといわれている。また、ある晩に寺に
盗人が入ったが、財喜坊の誑かしにより、
道に迷い、境内を抜けれぬまま夜が明け、
そのまま捕まったといわれている。
それから、この寺では夜でも戸締りはしない
といわれている。地元の人々は「せいちぼ」
と呼んで親しんでおり「財喜坊」というのは、
金儲けの神様という意味を込めて、
このような文字にしたともいわれている。



赤泊徳和・東光寺の禅達

赤泊徳和の東光寺の三つが山に棲むといわれ、
寺の守護をしており、日本で唯一禅問答が
出来る貉ともいわれている禅達。
寺に棲みついた禅達は、毎日朝晩和尚の読経
を聞いて学問に励むようになり、
禅問答も見様見真似で覚えたという。
住職に禅問答をしかけ、
つまらない答えをした者を追い出したと
いわれているが、
多くは逆にやりこめられていたといわれる。
佐渡のむじなの番付では
西の横綱が「団三郎」に対し、
東の横綱は「禅達」となっており、
団三郎に化け勝負で勝ったことがあると
いわれている。



真野新町・おもやの源助

「源助大明神」とも呼ばれる、
真野新町・おもやの源助。
あるとき、真野町新町で酒造業をしていた
重屋(おもや)山本半右衛門家の杜氏が酒造
に入った際に、思わず憑いてしまったことが
あり、主人の怒りを買ってしまった。
源助は主人に謝罪し、杜氏を元に戻し、屋敷
の守護を約束したという。
その後、ある大盗賊が盗みに入ったが一晩中
人影が見え、咳払いが聞こえ、何も盗ること
が出来なかったと、捕まえられた時に語った
という。山本家に祀られていたが、昭和に
新町大神宮の向かって左側に、石の祠を造り、
そこで祀られるようになったという。





  

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