2016年8・9月号


夫婦で編む伝統の絞張馬

蝦名仁市さん(八十八歳)
    雪江さん
(八十三歳)

羽茂大崎の絞張地区に伝わる、
藁馬作りのお話をお伺いしました。





仁市
正月に、ハリキリ(馬とわらじを吊るし
たしめ飾り)を作るのんに親父連中が
集まってなぁ。

雪江
馬を作るのはここの家のおれのじいさ
んで、それが物好きで、藁のことはわ
らじでもセナコ(背中あて)でも何でも
やる。それで正月に馬を作ったんさ。
そしたらおいらも作ってみとうて。

仁市
作り始めてからまだ四十年にはなら
んが、それぐらいになる。おれはほと
んど作らん。今まで百ぐりゃぁ作った
か。雪江はどんくりゃあか言うたら何
万と作った。

雪江
小しゃぁ時からこのことが好きだった
もんしな。

仁市
ま、おれは亀脇から婿に来て、農業が
好きで農業ができりゃええわと思うた。
今は米を多少やっとるし、こんにゃく、
サツマイモ、ジャガイモ。それとようけ
やってるのは豆。それで注文が入りゃ
藁細工もやる。

雪江
作るのには一つ二十分ありゃ充分。

仁市
作るのよりゃあ藁の下拵えが大変
なんだ。

雪江
ずっと前にたくさん注文があった折り
に、分業してやった。
一人で仕上げるちゅうと大変だ。
仲良うやってな。
喧嘩しとっちゃできん。

仁市
いやぁ、俺がするあいだ雪江は二倍
も三倍も作る(笑)。
二人で同じものはできん。
字や絵をかくのと同じもんし。
人なりが出るすけ。
今はそんなにぎょうさん注文もないし。

雪江
小正月のとうど(どんど焼き)
が済むと吊ったもんだ。

仁市
分かりやすう言うと、ここには
三カ所道があった。お宮の鳥居をくぐ
るように、ハリキリの下をくぐらにゃぁ
絞張の家には行けんちゅうて三本吊
るした。正月四日に作ってさ、小正月
の後に吊るし替え。由来は、むかし
速い馬がおったちゅうた。布曳馬ち
ゅうて、一丈だか二丈だかの布を曳
いてもさ、下へつかんような速い馬
がおったちゅう言い伝えがあって、
それをかたどって作った。
普通の馬はな、尾がこうたれとる。
これは真っ直ぐでしょう。
走るとこうなる。競馬の馬みたいに。

雪江
ここで越前ちゅう藁作っとんの
んさ、昔から種も変えんで作っとる。
ええ藁でコシヒカリと全然違う。
しわみがあるっちゃ。どんどん叩いて
も粉にならん。

仁市
味は良くないが、越前は百年
ぐりゃあ前の奨励品種で、昭和三十
年頃まで藁細工用にどの家も作っと
ったっちゃ。
でもそれ以降は経済成長になって、
藁細工はほとんどいらんようになっ
て皆やめてしまった。



雪江
一番大変なのは首だろうのう。
曲がり具合が悪いとぎくしゃくしと
るちゃぁ。ちいと曲がるとかっこい
いしなぁ。後ろ足ちいと長うすると
な、走っとるように見える。
その尾がしっかりしとるとな、いか
にも走り出しそうで。

仁市
それと胴体を付けるところ。
胸なぁ。そこが難しいと思う。

雪江
昔はのう、足のこうしてまっすぐ
立っとる。
今のはそれを凛と走るようにやっ
た方がいいんでにゃあかつって
足を広げてみたの。
タテガミの数は十六本。



仁市
馬はなぁ、昔の人が上手く考案
したもんだ。実物とは全然違う
もんだが、やっぱり面白みがあ
ると思うてな。大きさは昔から一
本藁で作る範囲と決まっとる。
ずっと前作り始めた頃のう、アメ
リカ人が一メートルのを作ってく
れちゅうて。
まぁ、大したことはできんがちゅ
うて、二頭だか三頭作ったことが
あるんだが面白いようなものは
できん。藁つがんなんから。
藁ついだのんは面白うにゃぁわ
けだ。やっぱりなぁ、一本で作る
範囲が面白い。

仁市
以前ブームの時にのう、これを
真似をして作ってそれを売って
歩いたっちゅう話があって。

雪江
真似してやってみても駄目
げだな。うまく行かんげ。駄目だ
ったし言うて、こっちまで売りに
来たっちゃ(笑)。

仁市
金欲しいと思うて作りゃ駄
目だ。一つ作っていくらと思って
ると魂が抜けてしまう。数作らに
ゃ駄目だとにかく。
それから気力だ。





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