2017年10・11月号


たらい舟製作者 
たらい舟船頭

金子啓次さん





たらい舟の記憶


小木の稲荷町で生まれ、高校を出て
北海道の自衛隊に入り、二十三歳ま
で野山を駆け巡っていました(笑)。
それから佐渡に戻って親父の手伝い
したり、森林組合や白雲荘へ行った
りと色々やったんですよ。
あと、今もですけどスキーのインスト
ラクター。夏はスキーの仕事がない
から転々として、昭和五十八年から
三十数年、小木の力屋観光に勤め
ました。
遊覧船とかモーターボートやって、
それから管理の方に行きました。
夏場は忙しかったけど、冬は失業状
態なんで長野のスキー場です。

勤めていたところは、たらい舟より遊
覧船がメインだったんだけど、たらい
舟が徐々に有名になってきたんです
よね。実は宿根木でも昔たらい舟や
ってたそうです。
たらい作る職人もいましてね。
宿根木の人がお客さんをたらい舟に
乗せてて、子どもの頃乗せてもらった
ことがあるんですが、上手くいかなく
て止めたみたいです。


完璧にはやらない


平成十五年に、鼓童の財団がダグラ
スさんていう人のたらい舟の本
(注)
を出して、実際に浮かべるのを見まし
た。たらい舟は特別なもんだと思って
たんだけど、見たらこんな感じかって
分ってきて、ダグラスさんの本を買う
て読んだの。
それで、あぁ、こんなんして作るんだっ
て。それまでにも興味はあって面白そ
うだなって頭があったけど、素人なん
かに作れるわけねぇって思ってた。
外国人から刺激受けたっつうのか、
そういうのを見て、平成二十一年にた
らい舟の講習があって行ってみたん
です。


(注)ダグラス・ブルックス(他)
「佐渡のたらい舟」 鼓童文化財団



講習で作ってみたら面白くて、素人でも
やれるんだなと。
もの作りは好き。いい加減で完璧には
やらないけど(笑)。
それでもできるっていうのが良いです
ね(笑)。精密じゃなくて多少漏れても、
完璧じゃなくても大丈夫!
ダグラスさんのも水がばかばか入って
ましたよ(笑)。
その時は今の事業は考えてなかったで
すが、上手くなって売れりゃ良いな、小
遣い稼ぎになるなっていう考えもありま
した(笑)。






時代に逆行


去年から、宿根木で観光用のたらい舟
始めました。ここで昔やってたからどう
だって言ってくれたもんがおって、そうい
うものもきっかけでね。
俺一人か二人でやりゃ良いやと思ってた
んだけど、仲間が寄ってきてきてくれて。
まだ二年目ですけど、お客さんに凄く喜
んでもらってて、佐渡の観光の目玉にな
るって思ってる。まだあんまり知られて
ないですけど(笑)。

ここでやりたかったのは時代の逆行かな。
今は自動販売機に吸い取られていく時
代ですけど、それじゃあ駄目だっていう
考えなんです。
木のたらいを人力で漕いで、乗り降りす
るお客さんに手を貸して繋がるっていう、
そういうのは今の時代の流れと全部逆
ですよね。スキーの板っていうのも自然
と人を結びつける道具で、一緒に滑れば
人と人を結びつける道具でもあると。
元々生活の道具であるたらい舟も、そ
れを通してお客さんや船頭が集まります
よね。たらい舟を介して、この自然の中
で会話や触れ合いができる、そういう人
と人を結びつける道具だと思ってます。
自分たちが楽しんでっていう考えでやっ
てますけど、儲けはほぼないですよ(笑)。






遊びが仕事、仕事が遊び


将来というか次に考えているのは、たら
い舟作りもここの運営も任せられる若
人を育てること。
十年も経たないうちに俺も七十になる。
七十でも元気でやれるけど、男女問わ
ず若いもんも置いとかないと駄目。
漕ぐのは半日もあればできます。
作るのも大体できますよ。
これだけでは収入は難しいかもかもし
れんけど、私のような、物好きであっち
行ったりこっち行ったり、そういう人も
おるでしょう。サラリーマンのように安定
してっていう考えじゃないけど、人生どっ
ちが楽しいか。

まぁ、なんつうんだろう。遊びが仕事、
仕事が遊びと考えていて、常に人と接
して、自然と接してみたいことが好きな
んでしょうね(笑)。






たらい舟観光・たらい舟の販売に
関するお問い合わせ
090-4835-5446(金子啓次)

☆Facebook公式ページあります。
「宿根木 はんぎり」で探索


  

佐渡情報

2013 S*Life all right reserved.