2017年4・5月号


真言宗弘仁寺
住職 日下敞啓さん






得度は十九歳

石原裕次郎、渡哲也と誕生日が一緒で
満49歳です(笑)。
東京で生まれ、父の仕事の関係で神戸、
名古屋、横浜と移り住んで佐渡に来ました。
大学は東京で、建築の勉強をしました。
1980年に佐渡に来た時は、とてつもなく寂
しく厳しい思いをしました。
雪の多い年で寒かった。
街へ行っても何もない。
早くもうどこか違う所へ行きたいと(笑)。
得度は19歳だったかな。
建築の方は、寺の太い梁とかを見て面白
そうだなと思ったんですよね。お寺だけで
やっていくのは大変だというのもあって、
そっちの勉強をしようかなと。


僧侶として

精神的なウェイトで言うと、僧侶というのは
生き方なのでそれが100%だと思います。
時間的にはお寺のことがほとんどだったん
ですけど、最近は近現代の建物を保存・活
用の調査研究をする、ヘリーテジマネージ
ャーとしても動いています。
ジェネラルスキルとスペシフィックスキルっ
ていう言葉があります。
一般的な能力と固有の能力のことで、どん
なことでも良いんですけど、一般性と専門
性というものを、半分ずつぐらいはバラン
ス持ってないと、これから何やるにしても
厳しいかなと思いますね。




お寺の役目

お寺は地域や心の支えになっていると思
います。
みんな無宗教だなんて言いますが、日本
人の価値観っていうのは間違いなく仏教
的なものだと思うんですよね。
聖徳太子以降、仏教的価値観や色々な
システムを取り入れながら、日本の思想
や政治が形づくられてきた。それが意識
されていないのが現代だと思うんです。

仏教というのは教えとお寺、そしてお坊さ
んのあり方だと思うんですよ。
学んで継承するのは大変だけど、良識の
ある人達がいれば仏教そのものは廃れ
ないと思います。
お寺に関して言うとこれは物なので、仏教
的にはまぁいずれ無くなっちゃうかもしれ
ない(笑)。
お寺というのは僧侶が生活する場、信仰
の対象とする場、それから修行する場と、
三つの意味合いがあると思うんです。
ところが、その全ての意味合いが失われ
るとお寺っていうのは無くなっていくんだろ
うと。決して「お葬式をする場所」というの
ではなく、何か今までとは違った利用の仕
方があるかもしれない。


お寺の現状

かつてはお上から土地や田んぼなど、お
寺の格に応じたものが下りてきて、それ
で維持管理しなさいとなっていました。
明治にその制度が消え、戦後の農地解
放で後ろ盾はなくなって、その後は法事
のお布施しか収入はありません。
この寺の檀家は今、百数十軒。
佐渡の場合、最低でも二百軒。理想的
には三百軒以上ないとやっていけない
ですね。そんなお寺さんはあんまり無い
ですけど。
島の人口が減るにつれ、お坊さんも減っ
ています。
佐渡の人口が五万何千人でお寺が二百
五十ぐらい。その三分の一くらいは住職
がいないと思います。だからお坊さんは
百七、八十人ほど。勤めている人もいる
から二百名ぐらいなぁ。もちろん複数の
寺を掛け持ちしてる人もいます。




ナチュラルな郷土愛

過疎化に対する特効薬はないと思うんで
すが、まずは自分達のしていることを丁寧
にすることですね。
たとえば、町並みっていうのは公共のもの
だと思うんです。
外から見えるところは公の意識を持って、
公に対して自分たちが寄与していかない
と。家の前にゴミが散乱しているとか、訳
の分からない色を塗ったりっていうのは
ちょっと違うんじゃないか。

元気な地域は、自分達の地元というものを
非常に愛しておられる方々が多いと思うん
ですよね。地元の良いところを生かしてい
くために、自分達の歴史や地域の事情を
良く知って、ナチュラルに郷土を愛するっ
ていう気持ちが大事なんじゃないかと。

そして、やっぱり人こそが大事なんだと思
います。子供から老年に至るまで、お互い
に学んでいけるような環境が必要だと思い
ますね。とにかく時間をかけて、人をちゃ
んと育てていく環境を作るっていうのが非
常に大事ですよね。





真言宗智山派 新倉山弘仁寺
佐渡市羽茂本郷4448



  

佐渡情報

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