2020年8・9月号



バンブークラブ代表 

カルロス・エンヒケ・
    ヒキシマ・フラガさん







佐渡へ


ぼくは日系三世のブラジル人。
1975年生まれで、出身はサンパウロから400キロ
ぐらい離れたクリチバというところ。

20歳までそこで普通に暮らしていたけど、何かこ
う違う道があるんじゃないかと旅に出て、ロックク
ライミングとか色々やっている内に、自然に対す
る興味が湧いて環境問題など考えるようになりま
した。
それでもっと旅をしたかったけどお金がなくて困
っていたら、日本から帰ってきた従兄弟が、日本
で稼いで好きなことをしようと誘ってくれました。
1996年だったかな。日本で2日働けばブラジルで
1ヶ月分の生活費が稼げるからね。

日本に来て福島の建設会社に入り、あちこち現
場を回る中で佐渡の小倉ダムの建設現場に来
てこの島との縁ができました。

2年ぐらい日本で働いてブラジルに帰りました。
貯めたお金で1年ぐらいモノ作りやカポエラ(ブラ
ジルの格闘技)とか好きな事をしてたんだけど、
膝を痛めてしまって・・・・・。

それでちょっと考えてまた日本に来たところ、乗
り換えが多かったせいか成田に着いたら荷物
が消えてました。
困っていたら、以前佐渡で知り合った女性(今の
奥さん)が迎えに来てくれました。
ぼくには全然連絡がなかったのに、ぼくの母親
とは連絡を取っていたんだね。
びっくりしたけど、そのまま一緒に佐渡に来まし
た。




竹と出会う


佐渡に来てまだ何もしていない時、羽茂の「ふすべ
村」で竹細工を体験したのが竹との出会いです。
物を作るのが好きだったので、その後も自分で竹
を使って色々作ったりしました。

それから左官の仕事に就いたけど、竹の方をやり
たくて3年ぐらいで辞めました。

そのあと姉の結婚式をきっかけに家族でブラジル
に帰り、モヘツという田舎で現地の竹でもの作りを
しながら2年ほど過ごしました。
モヘツでの暮らしは大変だったけど、環境が良か
ったのでここに家を建てようかと思いました。
でも3人目の子供ができて、奥さんが日本で産ん
だ方が安心できると言うので佐渡に帰ってきまし
た。産んだらブラジルに帰る予定だったけど、生
活のこともあったのでまた左官の仕事に就きま
した。
でもやはり竹に関わりたかったのであまり長くは
しませんでした。
それから竹のことばかり。




竹と暮らす


竹の魅力は循環するところ。
成長が早くて食べられて細工もできて、炭になっ
たり建材になったりと無駄がない。

仕事は色々あります。
竹林の整備から始まって造園や竹細工に使う竹。
門松の竹。白根の凧に使う竹。
加茂湖の牡蠣の筏用の竹。
それから竹炭や今やっている筍掘り。
この筍は朝早く掘り出してアク抜きして、給食セン
ターや東京の居酒屋に出したりしてます。
トウモロコシみたいな香りがして本当に美味しい
よ。

真野の「潮津の里」で竹のアスレチックも作ってま
す。これは作るだけででなく使った後に竹炭にし
たりしてます。
両津の「あいぽーと佐渡」で竹の外壁も作りまし
た。





忙しい時は一人では出来ないので、バンブ
ークラブというのを作って仲間と一緒にやって
ます。
沢山のことをしているけど、どれも質が落ちな
いようにしないといけない。
気を付けて進めてます。





これからは音楽ももっとやろうかなぁ。
これは太い竹に皮を張って作った太鼓です
(写真)。良い音がするよ。
竹で作った太鼓で「サドラム」というチームを作
って活動してます。








関わっているだけで幸せ


ぼくがやっていることは仕事でもあるけど、お金
よりも大事なのは竹の魅力を伝えること。
それは消したくない。
竹だけで生きて行けるのかってよく聞かれるけど、
竹は自分に必要なもので、それがあるから生きて
行ける。
竹に関わっているだけで本当に幸せ。








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〒952-1212
新潟県佐渡市泉乙80番地
090-9309-4243




  

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