2021年4・5月号


佐渡能楽連盟金春流太鼓方
葛西 直樹さん









東京で修行


羽茂で生まれ育ちました。家がクリーニング
屋だったので、高校を卒業したら東京でクリ
ニングの修行をすることになりました。そこで
夏休みに修行先へ見学に行き、社長さんと話し
合って決まりみたいな感じでしたが、抵抗はあ
りませんでしたね(笑)。四年ほど クリーニン
グの集中工場で受付から機械の扱いアイロン
がけまで一通り勉強しました。修行はきつくて
上下関係も厳しく、同期の一人はなぜか枕だけ
持って早々と夜逃げ しました(笑)。それでも
佐渡を一旦離れて外を知りたいという気持も
ありストレスはなかったですね。色々な音楽に
触れたりDJの真似事をやったりと、自由を謳
歌させてもらいました。





太鼓違い


祖母と叔母がシテ方(能の主役)を、従姉妹
が能管(笛)をやっていて、中学生の時に祭り
で出るというので初めて能を見に行きました。
終わって楽屋に呼ばれまして、美味しいもので
もあるんかと行ってみたら、囃子方の先生達が
待っていて「何をやるんだ」と。やってみたい
とかではなく楽器を選べと(笑)。で、その
時の太鼓が気迫があって格好良くて「太鼓」と
言ったのですが、稽古に行ったら思っていたの
と違う太鼓をやらされてびっくりしました。私
がやりたかったのは手で打つ「小鼓」で、「太
鼓」と言ったら能ではバチを使って打つ違う太
鼓なんですね(笑)。





最初は型から入ってバチの構え方や基本的な
手組み(最小単位のリズム)を覚え、先生の謡
に合わせて打つという稽古でした。先生は舞も
謡も教え方も上手で本当にありがたかったで
す。私を送りがてら父も習い始め、普段あまり
会話のない父とは能という共通項が生まれまし
た。父は当初やる気はなかったようですが負
たくない気持ちがあったのか、能の音楽テープを
大音量で車の中で聴いたり、サンバイザーのところ
に手組みを貼って見たりしてい熱心でした(笑)。
流石にこれは危険なので止めさせましたが。

その後また東京でクリーニングの勉強をして、ニ○
○五年だったかな、二十六歳の時に戻ってから
は舞台に出ろと言われ、天職だと思っていたク
リーニング業の傍ら能を続けました。当時佐渡
の能はまだ盛んで、自分のじいちゃん世代の先
生方が稽古熱心で気迫があって凄まじい感さえ
ありました。 「能は義務だ」と言う方もいて、
皆さん真剣に切磋琢磨していましたね。





天職から転職


事情があって三年ほど前クリーニング店を廃
業し、島内のホテルに就職しました。リネン
(クリーニング部門)から施設管理、庭の手入
れなど何でもやらせていただきました。忙しく
て能を稽古する時間はありませんでしたが、ロ
ビーでのイベントを企画して、自分で司会をや
りながら能を舞ってお客様に披露したりして、
そういう形で能を続けました。今は退職して、
地域を守ることに繋がるような農業を目指して
勉強中です。





芸は人を作る


能は後継者不足で先生方も高齢化で減ってい
ます。無形のものをどうやって伝え残すか難し
いところですが、能を学んで演じる中で自分た
ちが味わせてもらった良いものを、次の世代の
人たちにも同じように味わせてあげたい気持ち
があります。伸び伸びと楽しく能に触れても
らいたいと思うと同時に、映像など残せなかった
時代の口伝による緊張感、ろうそく一本が燃え尽
きるまで謡を吟じた厳しなど、己を強くす
る学び方も伝えたいですね。芸事は舞台でも稽
古でも上手くいったり挫折したりし
て、それが人間作りに繋がるのだと
思います。自分もそうやって育てて
もらいました。もしやってみたいと
いう人がいれば、楽器類は揃ってい
ますのでご連絡下さい。

佐渡は厳しい状況ですが、素晴ら
しい島の伝統文化を守り伝えるに
は、何かをしてもらうのを待つので
はなく、それぞれが当事者意識を持
つことが大切だと思いますね。





舞台にて。
左が葛西さん。右が金子様



*お問合せ
090-3243-2968


  

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