2021年6・7月号


自然栽培研究家 農業
渡邉 信弘 さん





いつかは英語圏に


1964年に貝塚で生まれ、高校まで佐渡です。
二浪して東京の大学に進学し英語学を専攻しました。
とにかく外に出たくて佐渡に残ることは全く考えておら
ず、長男ですが両親も応援してくれました。
大学時代は英語に拘り「いつかは英語圏の国に」と思っ
ていました。
アメリカ帰りの人達から話を聞いたら行きたくなり、
アルバイトでお金を貯めて3年生で休学してアメリカに渡
りました。
その頃は農業は全く関係なく、英語学科に入ったのに英
語を喋れないまま卒業してしまうのがとにかく悔しくて(笑)。




アメリカで出家


1年で帰るつもりでしたが、結局サンフランシスコとロサン
ジェルスで9年ほどアメリカにいました。
転機となったのは4年になるサンフランシスコでの生活に
一区切りつけようと、ユタ、アリゾナ、コロラドを1ヶ月ほど
回り、旅の目的の一つだった「レインボー ギャザリング
(虹の集い)」というお祭りに参加したことでした。

これはコロラドの山の中で自然に触れ、エネルギーをチャ
ージして帰るという趣旨のイベントで、参加者は1万人ぐらい
だったでしょうか。
その当時、80年代は自然と自由を求めるヒッピーの文化が
まだ残っていて、ここで「ちょっと待てよ。自分は今まで何を
していたのか」という事に気づきました。
たまたまそのイベントでロサンジェルスにお寺を持っている
日本人のお坊さんと親しくなり、旅から戻って1週間ぐらいの
つもりでお寺に遊びに行ったのですが、そのままそこで出家
してヨガと座禅の修行をしました。
和尚さんはなぜか長髪(笑)。
1日1食の玄米菜食におやつ。
朝晩にヨガと座禅という生活が新鮮で面白かったですね。
お寺には4年半ほどいました。







農業とヨガ


母が送ってくれた佐渡の情報誌にパン屋のマーカスと鼓動
のことが載っていて、佐渡の雰囲気が今いるロサンジェルス
と似ているような気がし、自分の思うことを実践してみたいと
思いました。
福岡正信さんの「わら一本の革命」という本を読んで感銘を
受け、無農薬で農業をしてみようと1998年に佐渡に戻りまし
た。ALT(外国人指導助手)として佐渡に来ていたアメリカ人
の妻ともヨガ教室で知り合いました。
米の自然栽培は無農薬・無施肥りんご栽培で有名な、青森
の木村秋則さんを手本にしました。
他県の自然栽培の農家に見学に行ったり、島内の同じよう
な方と勉強会もしています。
JAさんの協力も助かっていますね。
今でも失敗ばかりで大変です。
農薬を使わないので虫や草が一番苦労しますが、一般的に
害虫と呼ばれている虫も共生すると益虫になることもあり、
自然と協調するヨガの考えと重なります。
自然に還り自然と一体となるということで農業もヨガも同じな
んだと。
奥が深くて本当に楽しく仕事とは思えません(笑)。
始めた頃は大赤字でしたが、最近はまあ少しは利益が出る
ようになりました。
最初の頃の借金を返すのが大変で、死ぬまでには何とかゼ
ロに戻したいなと。
文化の違いを乗り越えて佐渡に根付いた妻の存在も大きく、
彼女がいてくれたので私も頑張れます。







子供達に素晴らしい佐渡を


金井小学校の5年生と米作りの実習をしていて、田植え
草取り稲刈りを一緒にやっています。
その米が食味コンクールで入賞しまして。
自分の米はダメでしたが(笑)。
子供は田んぼの泥と水の中ではしゃぎ回ります。
やはりストレスを抱えているのですね。
こういうところから子供たちが農業に興味を持ってくれたら
嬉しいなと思います。佐渡で育った子供たちが島に帰って
きて、幻滅しないような素晴らしい島にしたいですね。
島外から移住してきた人にもこういう生活は良いだろうなと
思います。
小さな田んぼがいっぱいあるので、その近くに小さな家を
建てて自給自足の生活も面白いのではと思います。



お問合せ
〒952-1211
新潟県佐渡市中興乙332番地


  

佐渡情報

2013 S*Life all right reserved.