2021年8・9月号




莚CACAO CLUB代表
勝田 誠さん








映像の道へ


1980年生まれで両津出身です。
殆どの人と同じように高校を卒業して進学のために佐渡を
出ました。
割と周囲に流されるような子供でしたが、小さい頃から漠然
と人と違うことをしてみたいというのはありました。
高校生の頃に映像制作に興味を持ち、美術大学をうけるこ
とになりました。





バリバリ働く


長岡造形大に入学しましたがデッサンなどの基礎がなく、周
囲のレベルについていけず落ちこぼれました(笑)。
そんな時に音楽と出会います。
在学中にバンドを始め、卒業後は上京してバンド活動をして
いました。
まあまあ良い感じのバンドだったと思うのですが鳴かず飛ば
ずで(笑)。
三十歳手前で解散して、一旦佐渡に帰ろうと思いました。
しかし何の成果もないまま帰るのも嫌で、丁度結婚しようと思
う女性もでき、これからはバリバリ働いて家族を幸せにしよう
と東京で就職しました。
最後は大阪転勤になり計五年ほど働きました。





西へ漕ぎ出す


仕事を辞めたのは生き甲斐を感じられなくなり、将来の幸福
が見出せなくなったからです。
忙しくてすれ違いが多く女性とも別れてしまいました。
そこで一度人生をリセットしたくなり、自転車で旅してみようと
思いつきました。
自転車乗りの聖地とされていた「しまなみ海道」に行きたかっ
たので、友人が移住している沖縄を目指して西に向かいまし
た。思い立ってから15分ぐらい、夜の11時過ぎに大阪を出
ました(笑)。
予算はあったものの行き当たりばったり。
しまなみ海道の起点となる尾道で膝の故障もあって何日か
滞在し、色々な人と出会うことができました。尾道は自由な
雰囲気の中、自由な生き方をしている人が多いなという印
象でした。





カカオとの出会い


旅を終えて大阪に戻ったものの住所不定の無職。
でもこれで自由になったと思い、気になっていた尾道に引っ
越して気ままに暮らしていました。そんな時、友人に誘われ
少し変わったチョコレート工場で働くことになりました。
この「USHIO CHOCOLATL(ウシオチョコラトル)」での体験
はちょっと凄すぎて言葉では言い表せません。
とにかく同世代のとんでもなく変わった男三人が、田舎の山
奥でチョコレートを通して、色々なことを発信している姿に惹
かれました。
行列ができるほど人気のあったチョコレートは、その発信の
一つのルーツのようなものでした。







佐渡でクラフトチョコレート


気がついたら中心メンバーの一人になっていましたがそれ
ぞれ独立することになり、そこで佐渡でチョコレートを作ろう
と、赤泊莚場の公共施設だった建物を改装して工場とカフェ
にしました。

コンセプトは

@佐渡初のクラフトチョコレート工場
A和の要素を取り入れた佐渡のお菓子にする
Bチョコレートだけではなく「カカオクラフト」を発信する

の三つです。分かり難いのは「カカオクラフト」だと思います。
これは例えばカカオで味噌作りや、廃棄されるカカオの殻を
錬り込んだ陶器や和紙を作ったり、カカオを使って新しい
提案をしていくことです。
これらのことが収益になればカカオの買い取りも高くでき、
産出国の貧困や児童労働問題の解決に繋がるのではな
いかと思います。





自家農園の野望


チョコレートはカカオの発酵が一番大事で、これは現地でし
かできないので自家農園の野望を持っています。
カカオといえばコートジボワールやガーナですが、あえて
東南アジアでカカオの質を上げてチョコレートを作りたい。
ミャンマーやインドネシアのチョコレートなんて面白そうで
しょう。
寒いのが苦手なので一年中Tシャツで暮らせるのも魅力
ですし(笑)。

それから佐渡の過疎化を何とかしたい。
佐渡には進学先も就職先もなく人口が減ってくのは当然です。
例えばベーシックインカムで最低限の生活の保証がされたと
しても、人は働いてなんぼのもの。
人は働くのをやめないでしょう。
そこで見直されるのが手を動かす工芸とか一次産業だった
りするのではないかと。そういうことが学べる学校ができると
良いですね。







莚CACAO CLUB
952-0704
新潟県佐渡市莚場1100
0259-58-9080
E-mail:mushilocacaoclub@gmail.com
note https://note.com/mushilo/
Instagram @mushilocacaoclub

  

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