縁とは奇ナリ。
〜あいえんきえん〜



第二〇話
《佐渡髭地鶏年表》の巻


前回(第十九話)に続き、【佐渡髯
(ひげ)地鶏】をご紹介します。

江戸時代嘉永年間(一八四八〜一八
五四)の『禽譜図解(きんぷずかい)』
や、寛政年間(一七八九〜一八〇一)
の『觀文禽譜(かんもんきんぷ)』とい
った貴重な文献にも記されているそ
うです。

この『觀文禽譜』によれば…
【髯あるを以って世俗カラヒト名をつ
けしならん。或いは言う、形和鶏に似
て嘴根に髯あり、脚また毛あり】…と
あります。

この髯地鶏が佐渡でいつ頃から飼育
されていたか詳しくはわからないもの
の愛好者の話では戦前、民家の庭先
でよく飼育されていたといいます。

もしかしたらみなさんのおウチでも
昔は【コッコー】という愛称
のひげのある鶏が飼育されていた
かもしれませんね〜。







【佐渡髯地鶏年表
      (〜昭和三三年まで)】

■〜明治〜大正

『コッコー』と呼ばれ農家で飼育
またこの頃から外国産鶏の輸入が
増え、愛好家はその珍さから外国産
鶏に目を向け始め在来鶏の飼育が
減り始めた

■昭和初年〜二〇年代

昭和初年から戦前、戦後も同
様な傾向が続き、戦後にはほ
とんど絶滅の状態になる

■昭和二七年(1952年)

旧新保村北方の河原氏により
松ヶ崎で口元にひげのある鶏
を発見。
『佐渡ひげ地鶏』と命名

■昭和二八年(1953年)

三月七日の朝日新聞に佐渡ひ
げ地鶏の記事が掲載される

■昭和二九年(1954年)

『佐渡コッコー保存会』結成の
機運高まる。一方、発見者
河原氏より文化財指定の意見
書が出される

■昭和三〇年(1955年)

新潟県巻町の日本鶏展に佐渡
ひげ地鶏の出展要請あり

■昭和三一年(1956年)

河原氏『佐渡ひげ地鶏発見の
経緯と佐渡の養鶏の実状』につ
いて発表。
会津短期大学大矢氏が佐渡
ひげ地鶏について『地鶏の基本
的性格をよく残している』と発
表、賞賛する

■昭和三二年(1957年)

佐渡博物館に剥製を展示

■昭和三三年(1958年)

河原氏が『全日本鶏品評会』
(弥彦神社)にひげ地鶏を出品
保存賞受賞。出品の地鶏を燕市
の深海氏に壌渡される

  

佐渡情報

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