縁とは奇ナリ。
〜あいえんきえん〜




第二一話
《続・髯地鶏年表》の巻



『あそびじゃねぇんだ。趣味じゃでき
んだ。な?そうだろ?』
…お会いするたびに必ずお聞きする
この言葉には【佐渡地鶏・ひげ】生産組
合事務局・本間文雄さんのアツい思い
がこもっています。
本間さんは元・佐渡博物館事務局長
平成六年から佐渡博物館で佐渡髯
地鶏を見てきた。年々個体数が減っ
ていく、卵を産まなくなってくる・・・。
一つの【種】が絶えていくかもしれない
危機感の中で平成一五年、本間さん
はある冊子の記事にビビっときた。
秋田県・比内地鶏。
『これだ!』と思った。本間さんは当
時の冊子を今も大切にとってあるのだ
とか。目をキラキラさせてその時のこ
とを語る本間さん。佐渡髯地鶏への
情熱は留まることを知りません。比
内地鶏からヒントを得て、早速試行
錯誤・・・。
【種】の保存と【特産品種】
確立の土台作りは今も続いています。
これからの佐渡のために。

・・・続く








【佐渡髯地鶏年表(昭和四三年〜)】

■昭和四三年(1968年)

新穂、行谷小学校でオス一羽
メス四羽を佐渡髯地鶏発見
者・河原伊勢治氏から譲り受
け飼育を開始するも、盗難な
ど管理上の問題で井内地区・
末武勉氏に譲渡。以後、約十
年程末武氏により飼育される


■昭和五二年(1977年)

新潟県文化行政課の調査によ
り飼育羽数、六三羽を確認
うち、原形を保持する羽数は
二五羽と発表される


■昭和五四年(1979年)

末武氏の飼育する二十数羽
を畑野坊ケ浦、小田三十四氏
他の愛好者に分譲する


■昭和五六年(1981年)

広報『はたの』十二月号に髯
地鶏の記事と写真が掲載される


■昭和五七年(1982年)

広報『はたの』の記事と写真に
対し、新潟栄町の日本鶏保存
会が『似て非なる髯地鶏』と
して、二月二六日の新潟日報
に記事を掲載する

三月九日付新潟日報『窓』欄
にて、末武氏が二月二六日の
記事に対する反論を掲載

七月に栄町より髯地鶏(純粋種?)
のヒナ、八つがいが持ち込まれ、
島内の愛好者に分譲

十二月、坊ケ浦小田氏が飼育
中の髯地鶏オス一羽、メス三
羽を佐渡博物館で譲り受け
飼育を開始


…次号に続く

  

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