夜に出あるく鬼面
(両津市上久知)


上久知の熊谷弥七郎家では、むかしからふしぎな鬼面を秘蔵していて「弥七郎面」と呼ばれている。
今では、久知八幡宮の祭礼の花笠踊りの時、鹿の面の小獅子と共に舞うことにしている。
むかし、この熊谷家の先祖が、佐渡の島内の遍路に出た時、ある村の川尻で、子供たちが、この鬼面をもてあそんでいたのを譲りうけて家へ持ち帰った。
その後、この面は、夜になると近所を出あるいて村の人たちをなやました。
あるとき麦搗(つ)きに集まっている若衆宿(若い衆の集まるところ)へあらわれた。その時一人の元気のよい若い衆が、手斧で切りつけた。それから、夜あるきをしないようになった。今でもその時の鼻のところの疵は、鎹(かすがい)でとめてあるという。
その後、どんな事情によるものか、毎年八幡宮の祭礼に、城の腰の人たちの奉納する獅子舞に使用するようになった。
ある年の祭礼に、下久知と城の腰の若い衆の間にあらそいがおこった。そして、この鬼面を、城の腰へ貸さないことにした。
そこで、城の腰の若い衆は、簗場(やなば)の源六という大工が、その模刻を持っていることを聞き、それを借りて使うことにした。すると、この祭礼で、鬼面の出る獅子舞の時刻になると、熊谷家では、にわかに腹痛の人が出、さらに座敷に安置してあった鬼の面を入れてあった箱が、ガタガタとふしぎな音をたてた。
これは、今日の祭礼に、鬼の面が出れない祟りだろうというので、さっそく祭礼の舞台にかけつけ、城の腰の人たちから遣(つか)ってもらった。
そして、この年の祭礼は無事に終わり、それから毎年遣うようになった。

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