弥三郎ばば
(佐和田町東野)


むかし、越後の弥彦神社のある弥彦村に弥三郎という百姓がいた。
悪い事をしたので、佐渡へ流され、東五十里村(現在の東野)弥吉坑で働かされた。金銀山の坑内の労働は、ひどいもので、弥三郎は、とうとう飲みたい、食べたい「餓鬼(がき)病」となり、下水の水まで飲むようになった。そして、死んでいった。死ぬ時「おれには、国もと越後の弥彦に母がいる。もし佐渡へたずねてくることがあったら、おれの骨を渡してもらいたい。そして一緒に埋めてもらいたい」といった。
その後数年たってから母は訪ねてきた。そして、息子弥三郎の骨を抱いて泣いて悲しんだ。
このようすを見て、名主の通称バンソウ(姥が沢)の主人は気の毒におもい、家において子守をさせていた。
この婆さんは、子供が好きで、とてもかわいがって子供の鼻水をすすってやるほどであった。
のちには、子供の腫物の膿(うみ)まですってやるようになり、また血を吸うようになり、ついに子供を食うようになった。
村の人たちは、あつまって婆さんを荒縄でしばり、町の代官所へ連れて行った。
代官の前に立った婆さんは、急に口が耳まで裂け、額に二本の角が生え、髪を乱して代官に襲いかかった。
代官は、腰の刀で婆さんの片腕を切った。
その時、南の方から急に雲が湧き、弥三郎婆さんは、その雲に乗って姿を消した。
この日が9月13日で、東野の鎮守様小平神社の祭日ともなった。
この日は、朝晴れていても、昼ころかならず南の方から黒い雲が出てきて、暴風雨となる。
これは、弥三郎婆さんが切り落とされた片腕を、取り返しにくるのだといわれている。

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