坑道探検

捨石も選られ精錬所へ



江戸中期頃には、出鉱量が減少し、
安永7年(1778)から、
一旦、抗内に捨てた柄山(捨鉱石)を再回収し、
以前にも増して粉成(コナ)し、
製錬にまわすようになった。
これを揚柄山(アゲガラヤマ)稼ぎという。
これらは捨石や拾い石を専門に製錬する外吹買石(製錬業者)のところに運ばれ製錬された。
一度掘り出した鉱石から、
さらに、徹底して金銀を回収する努力がなされた。

TOP