金鉱石が小判になるまで

荷分けと荷置き場 



元和から寛永にかけ、
奉行所直営の御直山(オジキヤマ)が増加すると、
奉行所と採鉱を請負った者との間で鉱石で利益配分された。
各間歩に置かれる四ツ留番所では、
買石達によって等級分けされた鉱石を、
叺に詰め、
敷名と等級を記し符印(フイン)して溜めておく。
これを10日ごとに荷分場に持ち出し、
製錬後の実収金銀量を見込み鉱石で分配した。
公納分、金児分、山師分に分けられたが、
荷分け率(分配率)は時代により変化した。
後期には、公納分が4割から6割に増えていく。
荷分けには、奉行所側からは山方役、
目付役、番所役、時代により、
給人が立ち合い、
請負側からは、山師、金児、金穿大工が立ち合う。
後期には、帳簿上で分配する方法に変化した。

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