金鉱石が小判になるまで

佐渡奉行所と辰巳口番所の役目



佐渡奉行所は、
大久保長安によって、
慶長8年(1603)現在の台地に作られた。
一国天領である佐渡全島の行政、
司法を司り、
金山も管轄したところに特徴がある。
18世紀終わり頃の機構では、
奉行の下に、
組頭2人、
与力30騎、
同心30人、
その他広間役(ヒロマヤク)、
定役(サダヤク)、
並役(ナミヤク)、
使役(シヤク)、
牢守(ロウモリ)、
水主(カコ)等、
約300人に及ぶ属僚がいた。
選鉱、製錬、鋳造、
鋳貨の工場が奉行所内の敷地に集約されたのは、
宝暦9年(1759)以降のことである。
産出量の減少にともない業者の不正を防ぐ目的で奉行所直営とした。
辰巳口番所は、
その工場の出入口である。
ここで鑑札を出し、
出入証明検査を受けた。

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