金鉱石が小判になるまで

小判は江戸へ





江戸と佐渡金山を結ぶ街道は佐渡路と呼ばれ、
3本のルートがあった。
@江戸−白河宿(奥州街道)−会津街道−新潟−海路
A江戸−高崎宿(中仙道)−三国街道−寺泊−海路
B江戸−追分宿(中仙道)−北国街道−出雲崎−海路
これらの街道は、
幕府の役人達の通行や物資の輸送、
金銀輸送などのため重視され発展した。
金銀の輸送には、主にBのルートが使われた。
出雲崎から江戸までの陸路、
およそ400qを約11日かけて運んだ。
産出量が減少した中期以降は、
年一回が定例となった。

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