金と金鉱脈を求めて

江戸幕府を支えた金山の金鉱脈

今から2000万年前、
佐渡島周辺では激しい火山活動が生じ、
安山岩溶岩や凝灰岩などの火山噴出物が大量に堆積した。
この火山活動に伴い、
地下深部に熱水が生じ、
岩石中の割れ目を伝わって地表に達して温泉となった。
熱水中には、
金や銀などの金属元素や他のさまざまな元素が、
溶けた状態で含まれている。
この熱水が割れ目を通過している間に、
熱水の温度が低下し、
また圧力が低下すると石英の結晶(水晶)が割れ目の中に生成し始める。
この時に、金や銀が自然金や銀鉱物として石英の中に生じたものが、
含金銀石英脈(ガンキンギンセキエイミャク)すなわち金鉱脈である。
その後の長い年月の間の侵食作用により、
金鉱脈が地表に姿を見せたところが鉱脈露頭であり、
金を探す時に重要なものとなる。
佐渡島には大小あわせて十数の金銀鉱脈山があるが、
佐渡金山は、その中で最も規模の大きいものであり、
徳川幕府は佐渡を天領として大規模な開発を始めた。
佐渡金山の鉱脈は、
主要なもので9鉱脈あり、
南北約600m、
東西約300m、
深さ約800mの範囲に存在する。
最も大きい鉱脈は青盤(アオバン)脈と呼ばれ、
その大きさは、
長さ2100m、
幅6mで、
深さ500mまで板状に連続するものである。
鉱脈の方向は東西であり、
傾斜は北へ60度ないし南へ60度と変化する。
多くの鉱脈は海水面下まで連続している。
佐渡金山から生産された金は江戸幕府の財政を支え、
生産された金は41t、
銀は1781tに達した。
これらの金や銀は火薬を使わず、
すべて手掘りによるものであった。


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